エリザベス・ジョージ第一作『そしてボビーは死んだ』登場人物リスト(ネタバレあり) [読書]

ネタバレありです。

エリザベス・ジョージの第一作『そしてボビーは死んだ』(原題「A Great Deliverance」、改訳版『大いなる救い』)を読んだ。
「リンリー警部」シリーズの第一作である。
これはじっくり読みたいと思わせる作品だった。リンリーとハヴァーズがくっつかなさそうなのが良いし、アメリカの作家であるためかわかりやすいイギリスのウィットが描かれている。
シリーズ化を前提とした複雑な伏線が存在すると思われるのだが、第一作から登場人物が多すぎ!

カバーに示された「主要登場人物」は以下のとおり。

トマス・リンリー:スコットランド・ヤードの警部
バーバラ・ハヴァーズ:同巡査部長
サイモン・オールコート=セント・ジェームズ:リンリーの親友。鑑識専門家。
デボラ:その妻。
ヘレン・クライド:リンリーの女友達。
マルカム・ウェバリー:スコットランド・ヤード警視
サー・デーヴィッド・ヒリエ:ウェバリーの上司
ウィリアム・テース:事件の被害者
テッサ:その妻。
ジリアン:同長女
ロバータ:同次女。
リチャード・ギブソン:テースの甥。
ステファ・オデル:ロッジ経営者
オリヴィア・オデル:ステファの義姉、テースの婚約者。
ブライディ:その娘
ハート神父:事件の発見者

だが、警察関係も事件関係もまだまだ人物が出てきて、とても大変。
そこで、シリーズを楽しく読むために人物リストを補足してみた。

・ロンドン

フランシス・ウェバリー:マルカムの妻
ローラ・ヒリエ:デーヴィッドの妻。フランシスの妹。
エドマンド・ハンストン=スミス:62歳。ヨークシャーで政治力を有する。ロマニフに殺害された。
ロマニフ:ジプシーの夫婦。スミスを殺害し国外逃亡した。
バーティー・エドワーズ:スコットランド・ヤード鑑識課主任。
マクファーソン:スコットランド・ヤード警部。
ジョン・ステュアート:スコットランド・ヤードの刑事。
シド:ヘレンの男友達。
ジェフリー・キュージック:ヘレンの男友達。法廷弁護士。ケンブリッジ出身。
ドロシア・ハリマン:ウェバリーの秘書。
アンドルー:リンリーの男友達。
シドニー:サイモンの妹。
ペテール:アクトン近くの食料品雑貨店の店主。
グスタフソン:アクトン在住。ハヴァーズ家の隣人。
トニー・ハヴァーズ:バーバラの弟。若くして白血病で病死。
ジミー・ハヴァーズ:バーバラの父
ミセス・ハヴァーズ:バーバラの母
ナンシー:リンリー家のメイド
デントン:リンリー家の執事。
キャロライン:クライド家のメイド。デントンの恋人。
エーブラムズ:チェルシー研究所の教授。鑑識専門家。
へール:スコットランド・ヤードの刑事。
ハリー・ネルソン:リンリーが調査していた殺人事件の被害者。
ラッセル・モーリー:テッサの現在の夫。ロンドンの実家への帰路、鉄道切り裂き魔の被害者となる。
レベッカ・モーリー:ラッセルの娘。
ウィリアム・モーリー:ラッセルの息子。レベッカの弟。
ジョージ・クラレンス:牧師。テスタメント・ハウスの主宰者。
ジョナ・クラレンス:ジョージの息子。ジリアン(ネル)の夫。
ミセス・クラレンス:ジョナの母。


・ケルデール

ガブリエル・ラングストン:巡査。村の駐在。
ウィスカーズ:テース家の羊飼い犬。ボーダー・コリー。
ナイジェル・パリッシュ:教会のオルガン奏者。
ミセス・バートン=トマス:ケルデール・ホールの女主人
キャスパー:トマス家の飼い犬
ジェーソン:トマス家の飼い犬
ダニー:ミセス・バートン=トマスの姪
エディ:ミセス・バートン=トマスの甥
アンジェリーナ:ダニーの妹。
ハンク・ワトソン:ケルデール・ホールの宿泊客。アメリカ人の歯科医。カリフォルニアのラグナ・ビーチ在住。
ジョジョ・ビーン・ワトソン:ハンクの妻。
エズラ・ファーミントン:画家。ダニーの恋人。
マデリン・ギブソン:リチャードの妻。
マーシャ・フィッツァラン:元教員。ハート神父と同世代。
ダヴ・アンド・ホイッスルの亭主:酒場の亭主。日曜の晩はロースト・チキンが定番。
ハナ:ダヴ・アンド・ホイッスルの娘。
シンジ:シンジズ・ビューティ・ショップの女主人。
ドゥーガル:ブライディが飼っているアヒル。本名アンガス・マクドゥーガル・マクダック。
ポール・オデル:オリヴィアの亡夫。ステファの双子の兄。ナイジェルの級友。ハンティントン舞踏病の末、4年前に自死。
マリーナ:死体で見つかった身元不明の赤ん坊。

・ヨークシャー

ニース:リッチモンド警察の主任警視。過去にリンリーを誤認逮捕した。カーリッジを憎んでいる。
ルービン・カーリッジ:ヨークシャー警察管区の管区長。
エドワード・デヴンポート:リンリーの義兄。5年前に殺害された。
ミスター・ハウスマン:リッチモンドの探偵。
ドクター・サミュエルズ:バーンスティンガム精神病院の医師。
トマス・リンリー(シニア):リンリーの父。
デーズ・リンリー:リンリーの母。

主要人物の紹介はもう少し読み進めてからする。
小菅訳は読み易いけど、邦題は改題版の方が原題に近くて良いと思う。

(追記)
改訳版の登場人物紹介
トマス・リンリー:スコットランド・ヤード犯罪捜査部警部。アシャートン伯
レディ・ヘレン・クライド:第10代ヘスフィールド伯爵の娘
サイモン・オールコート=セント・ジェイムズ:鑑識専門家。トマスの親友
デボラ・セント・ジェイムズ:サイモンの妻。
ハート神父:事件の発見者
ウィリアム・テイズ:被害者の農夫
テッサ:ウィリアムの妻
ジリアン:ウィリアムの長女
ロバータ:ウィリアムの次女
ウィスカーズ:ウィリアムの犬
リチャード・ギブスン:ウィリアムの甥
マデリン・ギブスン:リチャードの妻
ステファ・オーデル:ロッジの経営者
オリヴィア・オーデル:ステファの義姉
ブライディー:オリヴィアの娘
エズラ・ファーミントン:画家
ナイジェル・パリッシュ:オルガン奏者
ミセス・バートン=トマス:<ケルデール・ホール>の女主人
ガブリエル・ラングストン:巡査
サミュエルズ:精神科医
ジョナ・クラレンス:英国国教会牧師
ニース:リッチモンド警察主任警視
ルービン・カーリッジ:ヨークシャー警察管区警察長
マルカム・ウェバリー:スコットランド・ヤード犯罪捜査部警視
サー・デイヴィッド・同主任警視
バーバラ・ハヴァーズ:同巡査部長

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『ボクは再生数、ボクは死』登場人物と世界 [読書]

『ボクは再生数、ボクは死』(石川博品,KADOKAWA,2020)
(ネタバレあり)

時は2033年、主人公の狩野忍(かのうしのぶ)、スフィアタグ=シノ。28歳の実家暮らし。住所は栃木県あさひ市大字古里206。中学校は本田中。
あさひ市は宇都宮市から電車で25分、人口15万人。名産はハトムギ茶(モデルは小山市?)。
勤務先は株式会社スマイルアクアサービスあさひ支社総務部施設計画課。栃木県から水道事業を受託している。
BoW2を6,000時間プレイして大学を2年留年。BoW3はティア10レベル100(レベル100を10周)で世界300位以内の腕前。

斎木(さいき)みやび、スフィアタグ=イツキ。忍の会社での直属の先輩。春に本社から異動してきた。学年は忍の2歳上。ただし忍が大学で2年留年しているので、社歴は4年上。住所はあさひ市小松町1-16-51。中学校はあさひ中、高校はあさひ高。
小学生の時に交通事故に遭い脊椎損傷し車椅子ユーザー。乗っているコンパクトカーには屋根に折りたたみ式の機械アームが付いており車いすを運べる。

サブライム・スフィアは世界最大のVR空間。2029年夏稼働。基本無料。運営母体のサブライムは世界最大のEC企業。サブチャット(SNS)、サブストリーム(動画配信)も運営。
ヘッドマウントディスプレイ(HMD)とハプティックグローブ、そして紙おむつを装着してインする。

シノのいるクラスタ(エリア)はオール・アゲインスト・ザ・ロウ(2AL)、「なんでもあり」というルールに則って運営されている。殺されるとサブライムから退会したという扱いになり、アカウントとアバターが消去され復活できなくなる。
各クラスタにはプライベート・セキュリティ・ガード(PSG)という自警団がいる。

シノのアバターはデザイン・モデリングともカリスマ的モデラーぱおぱおが制作した。世界で唯一の特注アバター。ぱおぱおがフリーになった直後の依頼だったため、特別に受けてくれた。制作費は新車の軽が買えるくらい。半年に一度の新衣装と年一の本体アップデートつき(イツキ曰く「実質無料」)。
イツキちゃんねるでの2AL殺人配信を機にバズる。

イツキのアバターはぱおぱおデザインで別の人がモデリング下量産型の限定モデル。
スフィア稼働時から動画配信しているがフォロワー数は8だった。
2AL配信にて銃で撃たれVRショックを起こす。自宅でのインが禁止になったため、シノと共に遊遊CLUBあさひ市中央店のVRパーティルームを使用する。

キャッシュマネー。フォロワー13万人のロリアバターストリーマー。動画はハウツー系。
シノとイツキにコラボを持ちかけられるがフォロー数が少なかったため体よく断る。その際、2AL配信についてアドバイスをする。
その後、シノ・イツキの2AL配信がバズったためコラボを了承するが、シノの逆恨みにより配信内で殺されかける。バズりそうなターゲットをシノに提供することで命拾いし、パートナーとなる。
中の人は都内在住の高校2年生。

ツユソラ。風俗店「ギャルリー・ヴィヴィエンヌ」に勤務していたが実家に仕送りするため4時間100万円の店「エスコートサービス・カリプソ」に移籍する。シノは彼女に会うためにイツキと組んで金稼ぎに精を出すことに。
中の人、浅海そらはマリカワの恋人だったが去年の大阪府蘆辺市の豪雨災害で一家とともに死亡。
現在のツユソラはマリカワと同居中のデータを基に作られたbotだった。
botだと判明したためBANされたが、その直後にマリカワはモデルをネットに流したためフリー素材化した。顔、体、モーションそれぞれをモデラーが作成し、制作費用は500万円かかっている。
マリカワは増殖したツユソラの中にシノと出会う前の本物の記憶を持ったツユソラbotを紛れ込ませることを計画している。

マリカワ。Bow4のパブリッシャーとパートナー契約を結んだ日本のプロゲーマー。現在28歳。2026年に21歳でOdysseyの世界大会で優勝。ゲーマーとしては3年間のブランクがある。Bow4でシノらと対戦したあと、住んでいるノーマルクラスタのマンションをシノが買い取り2ALに変更したため自室で殺害される。中の人は和歌山在住。HMDを付けたまま電車に乗る、リアルで忍以上に「やれてない」人間。



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メタラブコメ前史~『現実でラブコメできないとだれが決めた?』感想・その2 [読書]

もちろん『現実でラブコメできないとだれが決めた?』以前にもメタ的なラブコメラノベはあった。

「東京大学新月お茶の会編集日誌」は2012年11月12日の記事で「メタラブコメ」について言及している。
『月猫通り』2138号 メタラブコメ特集+序論 http://newmoonteaparty.blog110.fc2.com/blog-entry-119.html
ここで指摘されていることは、かつてメタミステリと推理小説の関係の繰り返しなのかもしれない。
ラノベそのものが「コミックやゲームの活字化」から始まったように、オタクジャンルへの自己言及装置だとするならば、すべてのラノベがメタ的な要素を持っていてもおかしくはない。

ただし、より限定的に定義するならば入れ子構造を有した作品を指したい。
また、ラブコメの舞台が学校を中心とする現代であることも重要だろう。異世界ラブコメやオンゲー内ラブコメは「ラブコメ」部分以外にリソースがさかれているからだ。

そして同年から刊行が開始された『冴えない彼女の育てかた』(丸戸史明,富士見書房-KADOKAWA,2012-2019)は、アニメ化もされた有名作品である。主人公は同級生をメインヒロインにした同人ゲームを制作していく。

作者は本書の出版までに美少女ゲームのシナリオライターとして10年のキャリアがあり、本書もゲームを題材としている。

そもそも美少女ゲームは尖った表現形式を追求する作品も多く、メタ的な内容を含む作品も受け入れられていた。
所謂ジュブナイルポルノと呼ばれるラノベの近接ジャンルにはなるが、『左巻キ式ラストリゾート』(海猫沢めろん,パンプキンノベルズ,2004)は同じく美少女ゲームのスピンオフという位置づけであり、犯人当ても含めてそのメタ的なその作品構造が話題となり、東浩紀や西尾維新の絶賛するところなった。
その後、ギャルゲ/美少女ゲー題材のメタフィクションは、コミック『神のみぞ知るセカイ』(若木民喜,小学館,2008-2014)により広く人口に膾炙し、本流であるゲームでは『君と彼女と彼女の恋。』(ニトロプラス,2013)がゲームの特性を生かしたギミックにより現実に侵食する虚構というメタフィクションの本質を見事に表現した。

(作品の感想にたどり着けてないが、続くのか?)



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メタラブコメの出現とメタフィクションの系譜~『現実でラブコメできないとだれが決めた?』感想・序 [読書]

メタフィクションは「現実自体の虚構性を暴き立てる絶好の手段」であり、「文学的自己言及装置」を擁する(『メタフィクションの思想』巽孝之,筑摩書房,2001)。

同書の目次には、トマス・ピンチョン、筒井康隆、ルーディ・ラッカー、沼正三、スティーブ・エリクソンらの名前が並ぶ。ボルヘス、デリーロら南米文学のマジックリアリスムは世界的文学賞を席巻し、P.K.ディック、スピンラッドにも改変歴史を扱ったメタSFがある。

日本の推理小説界においてはメタミステリまたはアンチミステリというサブジャンルがある。三大奇書、または黒い水脈と呼ばれる作品群(『ドグラ・マグラ』(夢野久作,松柏館,1935)、『黒死館殺人事件』(小栗虫太郎,新潮社,1935)、『虚無への供物』(塔晶夫,講談社,1964/中井英夫,三一書房,1969))はメタ的な自己言及的装置を有している。

推理小説のこの系譜からは、『匣の中の失楽』(竹本健治,幻影城,1978)、『ウロボロスの偽書』(竹本健治,講談社,1991)、『夏と冬の奏鳴曲』(麻耶雄嵩,講談社,1993)、『蝶たちの迷宮』(篠田秀幸,講談社,1994)、『コミケ殺人事件』(小森健太朗,出版芸術社,1994)、『天啓の宴』(笠井潔,双葉社,1996)、『匣の中』(乾くるみ,講談社,1998)等の作品が生み出された(※例示は拙者の独断)。

さて、ラノベ界は空前のラブコメブームだという。
特に小学館が発行するレーベル「ガガガ文庫」は、『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』(渡航,小学館,2011-)の大ヒット以降、『弱キャラ友崎くん』(屋久ユウキ,小学館,2016-)、『千歳くんはラムネ瓶のなか』(裕夢,小学館,2019-)と名作ラブコメを連発し、ラノベラブコメ界の総本山と言える存在だ。

そして、このガガガ文庫からラブコメの極北、メタラブコメとして誕生したのがこのほど完結した『現実でラブコメできないとだれが決めた? 』(初鹿野創,小学館,2020-2022)なのである!

(続きます)



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私の読書歴 初期ラノベ編 [読書]

今さら現代(ラブコメ)ラノベにハマっている。
そこで最初に読んだラノベって何かな~と思った。

https://twitter.com/drknwn/status/1557530285989715968

ぱっと思いつくのは『涼宮ハルヒの憂鬱』(谷川流,角川書店,2003)。久しぶりの大賞受賞ということが話題になり発売後すぐに手に取った記憶。ちょうど就職した年だった。
次が『フルメタル・パニック!』(賀東招二,富士見書房,1998~)かな。アニメ「フルメタル・パニックふもっふ」(2003年放映、リアルタイムでは観てないが)の影響で。
ちなみに最初の『このライトノベルがすごい!』(宝島)が出たのが2004年だ。

いまでいうライト文芸に当たるのかもしれんが、『神様のパズル』(機本伸司,角川春樹事務所,2002)は東販のe-honで最初に買った本だ。

いやしかしちょっと遅すぎやろということで記憶を辿ると、高校生の頃(1996~1998)にナポレオン文庫の紅くりすを何冊か買って読んでたような。これが初?
※フランス書院ナポレオン文庫の創刊は1993年。

いや、エロラノベだったら最初に購入したのは『悪夢 第2章』(前園はるか,パラダイム,1997)では?
※パラダイムノベルスの創刊は1996年で、パンプキンノベルスの創刊は1998年)

あとは1995年に買った雑誌「電撃王」に連載されてた「クリスタニア」(水野良,メディアワークス)とか。
電撃ゲーム大賞は広告は見たけど(第1回金賞の『クリス・クロス』、第2回大賞の『ブラックロッド』あたり)本は読んでないし、『スレイヤーズ』ははっきり言って当時はバカにしてましたね。

いやそもそも1993年の春に中学に入って最初に小遣いで買った本からしてコバルトの『なぎさボーイ』『多恵子ガール』(氷室冴子,集英社,1984/195)だったんでラノベでは。
※次に買ったのが文庫版『三毛猫ホームズのフーガ』(赤川次郎,光文社,1994)

コバルトがアリなら『吸血鬼はお年ごろ』(赤川次郎,集英社,1981)は絶対に小学生の時に読んでるぞ。小学校高学年から中学1年ぐらいにかけては赤川次郎厨だったから。

ほかには、『地球樹の女神』(平井和正,角川書店,1988~)、『夏の魔術』(田中芳樹,徳間書店,1988)、『新宿少年探偵団』(太田忠司,講談社,1995)とかの新書は高校生の時に読んでたね。
基本的にミステリ読みだけどそれがメフィスト系につながったのかな。

総括するとラノベというよりはティーンズ向け読み物を当たり前のように読んでただけやね。

次回は就職してから読んだラノベか、子どもの頃家にあった読み物をやります。
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倉橋由美子『シュンポシオン』あらすじと感想 [読書]

桂子さんシリーズを第2作『城の中の城』→第4作『交歓』→第3作『シュンポシオン』と読んで、残りは第1作『夢の浮橋』となった。
時系列では『夢の浮橋』(舞台は1970年)→『城の中の城』(舞台は1980年)→『交歓』(舞台は1990年)→『シュンポシオン』(舞台は2010年)

『シュンポシオン』は、桂子さんシリーズ第3作、時系列は4番目。宮沢耕一の後妻との子である明と、桂子の長女智子の子である和泉聡子を中心に語られる。設定上、二人は伯父と姪の関係でもある。
実は二人を結び付けたのは智子の祖母・桂子と叔母・優子の策略であることが後に語られる。
登場時点で宮沢明はいわゆる男やもめ。妻のなほ子は自動車事故で亡くなっている。ところで、『夢の浮橋』に「宮沢明」と「菜穂子」という名前がふいに現れ、『シュンポシオン』を先に読んでいたため驚いた(堀辰雄の『菜穂子』のことらしい)。

桂子4部作とされるが、桂子自身は前面には出てこず、時代的にも舞、慧らの外伝的作品に近い。「今の世紀に入り、それから十年経って」とあるので2010年頃、『城の中の城』の30年後ということになる。
前作『城の中の城』を発展させた主題と次作『交歓』につながるギミックが登場するが、タイトル通り宴席での会話に趣の重点がある。人間関係としては相変わらず兄妹、夫婦が入り乱れての混戦模様である。
『城の中の城』で桂子はギリシア神話への共感を語っているが、宮沢明はギリシア古典専攻の教授である。相変わらず中国古典は頻繁に出てくるが、山田信・桂子が専攻していた英国文学はもはや登場しない。
音楽への傾倒は相変わらず色濃く、冨田勲的なシンセによる演奏も登場する。

2010年の日本は『城の中の城』で「マルクス教」「キリスト教」と並べて批判された宗教のそれぞれを代表する国家であるソ連とアメリカの衝突の舞台となっている。日本発祥の信仰である「反核平和教」のせいでなすすべもないが、入江が首相時代に開発した超兵器により辛うじてソ連の北部侵略を押し留めている。
人々は海辺の観光地へ「疎開」している。物語の最終盤では「東京にごく近いところで最大級の地震が発生し、関東大震災を上回る被害」が起きる。2010年8月の出来事である。

桂子は出版社の社長として元首相である入江の回顧録を手掛けるが、関係としては事実上の夫婦となっている。三人の子供のうち智子と貴はそれぞれ子をなすが、末子の優子は田舎の酒屋に後妻として嫁ぎ子がなく、夫の死後は先妻の三人の子と暮らしている。
優子の家は、聡子の小説の舞台として登場する。小説内で聡子は「まり子」となっているが、その由来が桂子が波長が合わないと感じていた耕一の最初の妻、まり子から付けているのも、桂子が優子の結婚に反対していたことと重ねてみると面白い。

舞台は海辺の観光地と田舎の小都市を行き来するが、あくまで都会からの旅行者の視点を失わない。
本書は福武書店からの刊行だが、文庫は新潮社から出たらしい。小学館のP+Dブックスシリーズでの復刻はされていないが、4部作では最も面白いと感じた。舞と慧の作品に近くわずかに幻想的な雰囲気があるからだろうか。



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倉橋由美子『城の中の城』読みました(ネタバレ感想・書きかけ) [読書]

※2022/9/27書きかけのまま公開へ

倉橋由美子の『城の中の城』を読んだ。
評価の高い『聖少女』を読んでしっくりこなかったので、もう1冊と思って読んでみた。
内容は全然知らなかったが、タイトルと表紙がかっこいいのでなんとなく手にした。

付録として刊行直前の『波』1980年11月号に載った著者インタビューを採録した小冊子が付いていた。こちらも充実の内容だが、登場人物紹介が完全にネタバレ。刊行以前に『波』で連載してたから仕方ない。

主人公は、山田桂子。『夢の浮橋』に続き2回目の登場となるようだが前作は未読。
桂子は英文学科卒であり、現在も暇つぶし的に小説の英訳をしている。また、夫は学生時代の指導教官。現在は、夫、2人の子供とともに、出版社の社長を務める桂子の父と同居している。

事の発端は桂子の夫が出張先のフランスでキリスト教の洗礼を受けたことである。

桂子はキリスト教とマルクス教はインテリがかかりやすい伝染性の病気だと考えている。

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「世間学」すごい [読書]

阿部謹也さんを始めとする世間学の本を何冊か読んで、個人と社会の在り方に対する違和感が晴れた気がした。
まさに蒙が啓かれる思い。

いくつか今の自分に関係すると思った箇所を独自に解釈したので書き出す。
相変わらずの尻切れトンボ。

1)西欧から輸入した社会システムの不全について

阿部先生が例に上げているのは裁判。罪が確定する以前に「世間」が断罪し、親子親族にまで批判が及び婚約解消・自殺などに追い込まれるケース(宮崎勤事件など)。
司法が正しく機能していない。というか司法自体、「世間」によって決定を左右されうるということ。
警察は言わずもがなである。独善的ともとれる行動によくネットで批判が集中するけれども、法の執行以前に「世間」の「空気」に従っている。
日本では法も、「世間」の解釈によって変化するものでもある。

少し前に話題になった生活保護バッシング。これも阿部著作の中で既に取り上げられている。
「世間」がそれと認めた者しか受給してはいけないという「空気」。


わたしたちは、第二次大戦中の軍部の非合理的判断の数々に呆れ果てるが、
その原因が那辺にあるのか理解できているだろうか。
刑事・民事、福祉、教育。さまざまな分野で同様の失態を繰り返しているのではないだろうか。
そして、ある程度の教育を受けた人の方が「世間」に対して無自覚であることが多いという事実。西欧の社会システム、個人主義への盲信。
が、同じことを日本で実現できるだろうか。
それとも「世間」を解明した上でそれに合った社会システムを日本が築いていくことが必要なのか。


2)キリスト教が生み出したもの

中世の告解が、呪術的なものを排除し徹底した個人主義を生み出したという。これはフーコーの説であるらしい。
19世紀以降、この西欧個人主義が世界を席巻し科学の発展を導いた。
西欧以外の国も日本を筆頭に同様のモデルを導入し追いつこうとした。というのが20世紀の構図だと思われる。
が、キリスト者ならぬ身では西欧人と完全に同一の自我を持ち得ない。
逆に「世間」の中で西欧的なシステムを受容して発展してきたものがその関係性に無自覚であるが故に崩壊し立ち行かなくなっている。

日本人のキリスト教者はどのような自我を持っているのだろうか?
アメリカの日本人移民は?
アフリカ系アメリカ人は?
非キリスト系アメリカ人は?

日本では、新宗教を「世間」の代替として台頭してきたものとする説がある。
世間が弱くなった時代に生きている人々がこれに飛びついたのだと。
新しい世代はどうか。新宗教第2世代以降の人間は西欧のキリスト教と似たような作用を受けていると感じる。「世間」と対面する以前に「神」との対話をもって生活していくからだ。
「世間」との距離感が異なる所以である。


3)空気が読めないとは

ある年齢以上の見知らぬ人に挨拶をしても無視されることが多い。
そうした人たちは顔見知りの人を見つけると途端ににこやかに話し出す。
まさに「世間」の現出である。
若い世代では「空気」がそれに変わる。鴻上尚史氏の「空気と世間」によれば、「空気」とは「世間」の流動的なものであるという。
先の新宗教者を含め、「世間」や「空気」の分からない人たちが日本にも現れ始めている。その人達にとっては個人と社会が直接結び付いているのだ。
「空気が読めない」人こそブレイクスルーではないか。


「空気」の読み合いの一例(メモ) [読書]

よく言われる「空気を読む」。世間学を唱える鴻上氏の著作を読んでいるので、
「空気」を読んで欲しかった大人の一例をメモ書き程度に残しておく。

インパール作戦における河辺ビルマ方面軍司令官と牟田口中将とのやりとり。
互いに作戦中止という真意を察して相手から言い出して欲しかったとのことだが、
それが軍事のプロのすることかと思う。

昭和初期の日本陸軍について何冊か [読書]

昭和史の陸軍について何冊か本を読んだので、いくつか抜き書きしてみる。

「昭和期日本の構造」 (筒井清忠、講談社文庫1996)
皇道派と二・二六事件について。皇道派には、所謂尊王主義的で短慮なグループと北一輝の「日本改造法案大綱」の影響を請け天皇制から脱却した国家体制の改革を目指すグループがあったとする。
その前段として陸軍の構造、皇道派誕生の契機となった永田鉄山ら陸軍三羽烏、二葉会→一夕会の成り立ちが紹介される。史料を丹念に追い、先論の誤りを指摘するなどしている。
二・二六後、二重三重の策を練り、現内閣・軍官僚の引責辞任と真崎ら皇道派に有利な人事を画策したが、当時侍従長であった木戸幸一がこれを看破したことで目的は完全に潰える、というのがクライマックス。
統制派と永田の動向については、永田が二・二六以前に相沢事件で死んだこともありいつの間にか触れられることがなくなった。

「永田鉄山」(森靖夫、ミネルヴァ2011)
陸軍の組織について更に詳しく知りたくなり、統制派の中心人物であった永田鉄山の伝記を読む。
著者は史料を論理的に繋ぎながらも、独善的野心的とされた永田の評価を見直すことに心を砕いているようだ。
派閥に拘らず先輩軍人に敬意を表していた永田は派閥打倒を積極的に主張したのではない、という説である。
もっとも永田寄りの視点であることから、巷の定説よりは上司である林の評価が高く、荒木・真崎の評価が低くなっているように思われる。軍紀を重んじ、直属の上司を飛び越えてはたらきかけをしなかった永田からすれば荒木・真崎は当然軍紀を軽んずる者と映ろうが。

「評伝 真崎甚三郎」(田崎末松、芙蓉書房1977)
著者は大正元年生まれの陸軍中野学校卒業生だとある。中野学校については現在「秘録陸軍中野学校」(畠山清行、新潮文庫2003)を読み進めているところだが、天皇制についての批判も許したという独特の教育が紹介されている。同校友会が1978年に「陸軍中野学校」という校史を作っているので著者が何期か知る材料があるかもしれない。

大筋では天皇制には批判的、軍人については定説に近い評価(軍人として評価されている人物を批判しない)という印象。
真崎については人情に厚い人物と評価している。
読み方としては統制派、皇道派、他の官僚との絡みを中心に摘み読み。
真崎だけでなく永田も真崎の左遷人事に関わっていなかったとして批判することを避けている。真崎と林・永田との確執については、永田が全体主義に傾倒していくことを真崎が危惧したと示すに留まる。
先の「永田鉄山」に引用された「真崎甚三郎日記」(山川)の永田死亡に関わる記述では永田に対する憎しみを露わにしている。また、wikipedeiaなどでも極東軍事裁判(不起訴処分)に先立つ尋問では「供述内容は責任転嫁と自己弁明に終始した」とされ、林・永田に対しても変わらぬ憎しみを見せたようであるが、この経過については触れておらず、敗戦に関して真崎の先見の明を持ち上げるような記述さえある。
1956年没であるが、1947年以降は「もっぱら対外活動を停止していた」として年譜は省略されている。


真崎が皇道派の黒幕と見なすか否かがそのまま評価の上下に結びつくわけではない。真崎が皇道派から慎重に距離を置いたことを、自身の出世のために利用しようとしたとするか皇道派将校や国体を案じたかと取るかである。
「評伝 真崎甚三郎」では永田を全体主義に傾倒したとするが、「永田鉄山」、「秘録陸軍中野学校」は、永田らごく一部の軍人が指向した国家総動員体制は、後の軍部の歪められた国粋主義、ファシズムとは違うと訴えている。
永田が総力戦のモデルとしたのは主にはドイツだが、ドイツに限らず欧州は総力戦体制を確立しており、それは国民が自らの意思で国土を守るために武器をとることを意味している。とすればお上主導の「国家総動員」を行った日本は、最後まで総力戦体制が確立できず、熱しやすく冷めやすいと永田が悩まされた大衆心理は終戦時に露呈したのではないか。


そのほか

「現代史資料」(みすず)から以下の文章を読む。いくつかはウェブ上で全文が閲覧できるようになっている。

日本改造法案大綱(北一輝)
国防の本義と其強化の提唱(陸軍省新聞班)
国家総動員に就て(永田鉄山大佐)
粛軍に関する意見書

読んだもの、読みたいもの [読書]

長くラノベを読んでなかったのだが、徐々に読み始めてる。

最初は巷で話題になってるよくあるハーレム系のものばかり目について、「ラノベ市場も変わったなー、もう全然読めんわ」と思ってたが、最近読んだ「ふぉっくすている?」「 リーディング 司書と魔本が出会うとき」は面白かった。

今年の1月に創刊した創芸社クリア文庫を何冊か購入。一迅社とか大手出版社以外のレーベルから良作を
見つけるのが楽しい。
朱門優さんの「ある夏のお見合いと、あるいは空を泳ぐアネモイと。」も創刊時に速攻で購入したなあ。続刊の「ある秋の卒業式と、あるいは空を見上げるアネモイと」はごく最近買って読んだ。何年がかりだ・・・。「死神のキョウ」も1巻だけ買ったがまだ続いてるらしいな。
早狩武志さんは「群青の空を越えて」の小説版が良くて「『ハーフボイルド・ワンダーガール」も買った。
軍物だと吉田親司さんの「内親王那子様」シリーズとか。ノベルス形態は売れてるんかなと心配になるけれど。
(版型で分けてる書店だとラノベ勢の目に入らない可能性)
レーベル違うけど、吉岡平さんの「シャルロットリーグ」も面白かった。

と思って、クリア文庫では「名探偵は推理しない」と「ネフシュタニアさまの永遠じゃない日々」を買ってみた。

三千円の本て高いの? [読書]

ちょっと話題になってたので。
高くても内容がいい加減な本、安価でもしっかり作ってある本もあるし、資料的価値と価格が一致するわけではないけど・・・。
逆に言えば価格だけで排除する理由はない訳で。

本の価格ってどのように決定されるのか。ロットの問題で言えばたくさん捌ける方が単価は安くなり、少部数のものは高くなる。
あるいは分量の大小とも。
原稿料は原稿用紙あたり幾らだったらジャンルによって差はないのかな?

自分が言いたいのは、価格だけで読む本を限定する人は狭い世界しか見えてないってこと。
部数の問題を取り上げると高額であるほど専門的な内容になるのは事実。
そういう本を読んでない人はその程度の視野しかないってこと。あるいは読んでも理解できないのか?

理解できない人にその資料の良さを訴えたところで徒労というものだ。
そんなところに力を使いたくない。
自分が読みたいものを読んでいく。ハナシのわかる人と交流する。それだけだ。

ロマンス小説の各社レーベルの比較について [読書]

何冊か読んだものを記す。後で追加していく予定。この分野はコアなファンも多く
結構情報は多い。2000年以降に発足したレーベルが多い模様。


・オーロラブックス(宙出版) 背は白、上下がピンク

読んだ中では一番過激な描写。濡れ場を中心に構成されている感じ。
シーンも複数ある。

・ソフトバンクNVロマンス小説(ソフトバンク) 背は薄いオレンジ、ロマンス小説は上にピンクのマーク。

こちらも過激な描写。シーンも多い。ヒストリカなど設定にも凝っている。ページ数は多めで分冊になっているものもある。

・MIRA文庫(ハーレクイン) 背は青。

ロマンス小説の老舗の文庫版。本家で出たものの文庫化。改題になっていることも多い。
最新のトレンドで出てくるわけではないので、描写はマイルド。

・マグノリアロマンス(オークラ出版) 背は白、マークは紫

今回読んだものには濡れ場なし。

・フローラブックス(ぶんか社)

字のポイント大きいしひらがなが目立つ。
行為中の台詞も多くて、他のレーベルとは読者の対象が違うのかと思う。

ラズベリーブックス(竹書房)

背は白、マークはそれぞれ「赤のコンテンポラリー」「紫のヒストリカ」「情熱のスカーレット」
お話の筋はしっかりしてるんだけど、
今回読んだのはSMクラブが題材だったりバンパイアネタだったり。
写実的な描写でしっかりした文章だが、行為の方も写実的描写でびっくり。

イソラ文庫(早川書房)

手に取った本がたまたまだったのかな?出だしから「セックス」連発で度肝抜かれる。
ハヤカワさんどうしたの、という感じ。


以下、未読。今後追記する予定。

・ライムブックス(原書房)

・ラベンダーブックス(幻冬舎)

・ランダムハウス

(二見・扶桑は割愛)

本の価格とか電子情報とか [読書]

インターネットで調べたら事が済むってことはあると思う。過程を飛ばして単に回答に到りたかったら、だけど。

現状ではまだまだ書籍が有している価値は量・質ともに電子情報を上回っていると思うけど、必要な物に辿り着く為の労力・費用は相当だね。
もっとも、電子情報が主流になったとしてもそれは有料コンテンツなんだろう。

社会に出てから、1カ月に五千円以上本を買う事にしているが、最近は1冊買っただけでこれを上回ることもある。
本の価格が上がっているのだろうか。内容的には後悔することもしばしばで、だからこそ吟味に吟味を重ねて選ばなければいけない。

新刊やある程度実物を確認して買える物はまだしも、古書なんかは専門分野でもなければ知識もなく、書店が付けた価格と年代である程度判断をしている始末。
失敗も含めて費用がかかるものだと割り切れば諦めもつくだろうが。

読んだ本のメモ [読書]

「新自由主義の復権」(八代尚宏、中公新書)を漸く読み終えた。今年最初の一冊だったらしい。
良くも悪くも面白い本だった。amazonの評価も両極端のようだ。
前半は新古典派のおさらい的な感じ。
後半は日本の現況について。
とにかく最近の「大きい政府」指向の中でこれだけ強気の市場指向は珍しい。刺激的であるだけに影響を受けやすいが論拠は慎重に検討していった方がいいだろう。
さしあたって、高齢化と年功賃金制、1940年以降の終身雇用体制と会社員の専業主婦の家庭を前提とした年金の仕組み、兼業農家を零細として保護するだけの減反政策、などのキーワードを個々に調べて行くか。

古本屋のこと [読書]

小学校の校則で「子供だけで学区外に出てはいけない」というものがあった。そして学区内に書店はなかった。そんな田舎の少年時代。

はじめて本を注文したのは最寄りの書店でのこと。氷室冴子の「なぎさボーイ」と「多恵子ガール」。どうしても店頭で見つからず店員に尋ねたら取り寄せということになった。刊行から10年近く経っていたがなんとか在庫が残っていたらしい。
注文から一カ月程してようやく入荷の連絡が入った。新刊にも関わらず小口の黄ばみが目立った。だが、とても満足だった。

地元の古本屋には普通の本屋ではお目にかかれないような本たちが所狭しと並んでおり、父に初めて連れて行ってもらった時はドキドキした。やがて自分の足で通うようになるとそこは秘密の遊び場だった。
主に少し昔の漫画など買っていたが、特に役立ったのは古いアニメ雑誌だ。
「アニメージュ」の確か1月号だったと思うが、その年放映したアニメとスタッフ・キャストの一覧が掲載されていたのだ。90年前後のバックナンバーを入手し、当時ファンだった日高のり子の仕事一覧を作成した(後年ウェブサイトにて公開したこともあった)。アニメージュは日高さんの結婚当時のウェディングドレス姿を発見できたという意味でも大変価値のある雑誌だった。ちなみにこのドレスは佐久間レイさん、日高のり子さん、林原めぐみさんという「らんま1/2」のヒロイン役の声優たちが結婚式で着用したという物凄いものであった。

ブックオフが地元にやって来たのは消費税が5%になった頃だったろうか。入れ換わるように前述の古本屋は閉店した。ブックオフは専ら立ち読みに利用していた記憶である。「らんま1/2」のような連載期間の長い単行本を全巻揃えようと思うとなかなか根気が必要だった。
後に利用したオンラインショップはマイナー出版社から出た漫画を買うのに重宝した。これらは数年ですぐ絶版になってしまうからだ。

サイト「日本の古本屋」を初めて利用したのは「中国人の論理学」(加地伸行、中公新書1977)を購入した時だ。中公新書で名著と言えるようなものでも絶版になってしまうと中々手に入らないものだ。地元の古本屋がブックオフしかない状態ではそれも無理からぬことである。インターネット時代の恩恵を感じた瞬間であった。
もう一つ思い出深い古本といえば「虚霊」(立木鷹志、新宿書房1982)である。偶々図書館で読んだ「夢の形をした存在のための黙示録」(立木鷹志、沖積舎2000)が面白く、その後書きで存在を知った。曰くかの埴谷雄高がこれを読んで絶賛したというのである。
出版社は既に廃業しているものの比較的刊行年が新しく東京ということもあって思ったより容易に入手できた。
今は「死霊」と並べて大切に保管している。

この「虚霊」も学生運動家が労働の中での運動に移行していく過程を描いたものだが、学生運動に関わる同時代的な書物もかなり刺激的な物が多い。
きっかけは大学時代に自分の大学の歴史を調べていた時に見つけた60年代の学内の発行物だったと思う。
70年安保から40年が経って、或いは団塊の世代が退職して、このことについての総括は出版物としては増加傾向にあるが、当時の本を見つけるのはやはり難しい。
大手出版社から批判的に論じられた物は別にして多くの社会系出版社は小規模であったり、場合によっては地下出版であったりするのだ。
かの「腹腹時計」(東アジア反日武装戦線「狼」)も後に抄録が刊行されることになるが、オリジナルのvol1となると見当もつかない。

差し当たって蒐集してみたいのは「古代支那」とか「支那思想」に関する戦前の書物。というか「支那」という語自体が戦後は使われなくなったものだが。これを「中国」に読み換えて復刊していたりするもの、著作集に収録されていて参照が容易なものは省く。
テキスト本体に興味があるのであって、初版だの○○社版だのには興味が無い。(ただし推理小説関係で幻影城版の「匣の中」とか初版の「虚無への供物」とかは以前から欲しいとは思っている)

ところで1999年に公開された映画「腹腹時計」、当時下宿していた街にもやって来たのだが、「腹腹時計がやって来る」のポスターが恐ろしくて見に行かなかった。少し後悔しているのである。

本を読むこと [読書]

読書は移動中にすることが多いので新書ばかり読んでいた。何冊か読んで、枚数の加減からかもう少し説明が欲しいなと思うことが多い。
小説以外の文庫でも読み応えがあるだろうと最近はそちらにシフトを始めている。思想・文化論の類は新刊書を読む気にならない。中身が薄いものが多いのだ。
学生の頃と違い無駄な読書に時間を浪費するのは惜しい。そこで漠然と指標を二つ程立ててみた。

経済や産業の最新の動向については、日本語の文章だけでは不十分だと感じ始めている。英語の記事やオープンアクセスの論文を読んでみるのも一興だ。

日本人論を端的に表すのは日本史観だと思う。戦前の日本史論は敗戦後に誤りだとして省みられなくなってしまった。専門家は別にして目に触れる機会がほとんどない。仮に歴史としては誤りであってもそれを執筆した時代の思想を濃く反映するものが歴史ではないか。これを読んでいきたい。

確か学生の時に古本屋で津田左右吉の戦前の著書を入手したと思うのだが、あの本はどこにやったか・・・。